
2026年4月、ついに自転車への「青切符」制度が施行されました。
メディアは「マナー向上」「交通ルールの厳格化」と報じていますが、その実態を深く掘り下げると、そこにあるのは安全への願いではなく、行政側の**「事務手続きの効率化」と「責任の所在を明確にしたい」という冷徹な事務処理の論理**です。
今の日本の道路状況で、自転車に車道走行を強制することが何を意味するのか。私たちは今一度、この法案の「異常さ」を直視すべきです。
1. 「書類作成」を楽にするために、命が天秤にかけられた
これまで自転車の取り締まりが「赤切符(刑事罰)」しかなく、警察が二の足を踏んでいたのは事実です。しかし、それを「青切符」で簡略化した本当の理由は、取り締まりを増やして**「役所の仕事をスムーズにするため」**に他なりません。
「赤切符は大変だから、もっと手軽に罰金を取れるシステムにしよう」――この事務的な発想のツケを払わされるのは、生身の体で大型トラックの横を走らされる自転車利用者です。
2. 物理的な死のリスクを無視した「机上の論理」
歩道で歩行者と接触した際のリスクと、車道で車と接触した際のリスク。どちらが致命的かは、小学生でもわかります。
• 歩道: 接触しても打撲や転倒で済むことが多い。
• 車道: 接触=後続車に轢かれる、あるいは数トンの鉄塊に跳ね飛ばされる**「死」**を意味します。
行政は「歩行者の安全」を盾に、自転車を車道へと追い立てました。しかし、自転車が安全に走れる専用レーンも、ガードレールも整備されていない「狭い車道」へ誘導することは、事実上の**「未必の故意による事故誘発」**ではないでしょうか。
3. 「事故を減らす」ではなく「責任を押し付ける」ための法案
この法案の真の恐ろしさは、事故が起きた後にあります。
これまでは「弱者」として守られていた側面があった自転車ですが、今後は「青切符の対象となる車両」として、事故の際の過失を厳しく問われるようになります。
つまり国は、「危ない道路を作った責任」を棚に上げ、「ルールを守らなかった個人の責任」として、被害者であるはずの自転車側を切り捨てやすくする土壌を作ったのです。
4. 私たちは「生贄」になっていないか?
インフラ(ハード)の整備には金も時間もかかります。だから、安上がりな「法改正(ソフト)」だけで解決したことにする。これが今回の青切符の本質です。
本来、法整備とは「誰もが安全に通行できる環境」を目指すものであるはずです。しかし、今の日本が選んだのは、**「事務の効率化のために、死亡リスクの高い場所へ市民を追い出す」**という、あまりに独善的で人命を軽視した選択でした。
おわりに:私たちは黙って従うべきか
「ルールだから」という言葉で、命の危険を正当化することはできません。
4月からの施行に対し、私たちはただ怯えて走るのではなく、「そもそもこの道で車道を走れと言うのは無理がある」という現場の声を、警察や自治体に届け続ける必要があります。
管理のしやすさのために命が選別される。そんな社会を「当たり前」にしてはいけないはずです。
ブログのトーンとしては、行政側の矛盾を突き、読者の共感と問題提起を促す構成にしました。これほどまでに現場を無視した法案に対して、声を上げ続けることは非常に重要だと思います。


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