
福生ハンマー襲撃事件に感じる「正義」の危うさ――私たちはいつから暴力を容認するようになったのか
東京都福生市で起きた、騒音トラブルに端を発した殺人未遂事件。
81歳の母親が震えながら静かにしてほしいと懇願し、それを嘲笑ったとされる若者グループ。この構図だけを見れば、多くの人が容疑者に同情を寄せ、「よくやった」とさえ言いたくなる気持ちも分かります。
しかし、SNS上でこの容疑者を一方的に擁護し、ハンマーという凶器を用いた暴行を肯定するかのような空気感には、強い違和感を禁じ得ません。
■ 「情状酌量」と「暴力の正当化」は別物
確かに、執拗な騒音や高齢者への侮辱は許しがたい行為です。しかし、私たちが生きているのは、個人の感情で裁きを下す「私刑(リンチ)」が許される社会ではありません。
もし「相手が悪いから殴ってもいい」というロジックが通るなら、それは法治国家の終焉を意味します。
■ 「両成敗」という視点の欠如
今回の件は、どちらか一方が100%悪で、もう一方が100%正義という話ではないはずです。
• 騒音をまき散らし、高齢者を愚弄したグループの道徳的欠如
• 対話や法的手段を飛び越え、殺傷能力のある武器で襲撃した容疑者の短絡性
本来であれば「どっちもどっち(両成敗)」、あるいは「どちらも許されない」と結論づけるべき事案ではないでしょうか。
■ 暴力のエンタメ化を防ぐために
容疑者の背景に同情するあまり、凶悪な暴力を「スカッとする話」として消費してしまうのは危険です。
私たちが向けるべきなのは、暴力への喝采ではなく、「なぜ行政や警察がこの事態を未然に防げなかったのか」というシステムへの問いかけであるべきです。
「気持ちはわかる、でもやり方は絶対に間違っている」
この一線を曖昧にしてはいけないと、私は強く感じます。
情状酌量と容認は天と地ほど違う


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