
◆ 最近目立つ「高市政権バッシング」の異常な軽さ
高市早苗首相率いる高市政権が発足して以降、ネットや一部メディアで「高市政権が結んだ不利な合意」「高市内閣の外交ミス」といった批判が相次いでいる。
だが、よく調べてみると――その多くは 石破政権時代に締結された合意や取り決め を指しているケースが目立つ。
つまり、実際には“前政権の置き土産”を修正・再交渉しているだけの案件を、あたかも高市政権が主導したかのように誤認させる発言や報道が増えているのだ。
◆ 「石破政権のツケ」を高市政権に押し付ける言説
石破政権下では、拙速な外交合意や国内調整不足のまま走らせた政策決定が多かった。
代表的な例としては――
- 国益より外交バランスを優先した“曖昧な譲歩合意”
- 省庁間の責任分担を曖昧にした制度設計
- 与党内合意を得ないままの強行承認
などが挙げられる。
その結果、高市政権は「後始末」を迫られ、修正や再協議を余儀なくされているにもかかわらず、
外から見れば「失敗の責任を負わされた」ように見える構図になっている。
◆ 政治報道の“印象操作”が議論を歪める
問題は、こうした経緯を無視したまま「いま悪いのは高市政権だ」と断定するような報道やSNSの論調が、
まるで既成事実のように拡散されていることだ。
ニュース番組やネット記事は、“誰が悪いか”という物語を好む。
しかしその裏で、「いつ、誰が、どんな根拠で決定したか」という 政策タイムライン が省略されている。
結果、国民は“現政権=元凶”という誤った印象を持ち、
実際にどの政権が何を行い、どの段階で誤ったのかが曖昧になる。
これは健全な政治批判ではなく、単なる印象操作だ。
◆ 「批判の質」が下がると民主主義が壊れる
民主主義において批判は不可欠だ。
だが、事実に基づかない批判や、政権の責任をすり替えるような言説は、
政治の信頼をむしばみ、国民の理解を妨げる。
- 誰がいつ合意したかを検証しない
- 感情的な批判だけが先行する
- 法的拘束や外交背景を無視する
この3つが重なると、議論のレベルは一気に低下する。
そして、真の問題――制度の欠陥や政策ミスの根本原因――が見えなくなってしまう。
◆ 政権交代の“連続性”を理解しない報道の罪
政権が代わっても、外交合意や経済協定などは「国家間契約」として残る。
つまり、新政権は前政権の判断を引き継ぐしかない部分が多い。
それにもかかわらず、「今の内閣が悪い」と短絡的に報じる風潮は、
政治報道の“勉強不足”を露呈している。
この点を理解せずにバッシングを繰り返すメディアや評論家の責任も、
決して軽くない。
◆ 結論:「責任の時系列」を直視せよ
政治を論じる上で、最も基本的でありながら最も軽視されているのが “時系列の確認” だ。
「いつ」「誰が」「どの根拠で」合意・決定したのかを整理せずに、
現政権を叩くだけの批判は、民主主義の成熟を妨げるだけである。
高市政権を批判するにしても、
それが“石破政権の残した課題への対応”なのか、
“高市政権自身の新たな判断”なのか――
その違いを理解することが、国民の政治リテラシーを高める第一歩だ。
政治を追ううえで最も怖いのは「誤認が常識になる」こと。
報道もSNSも、拡散の速さばかりが重視され、
“正確な責任の所在”がぼやけてしまっている。
高市政権を支持するか否かに関わらず、
「批判するなら、事実を積み重ねてから」
――この原則だけは、政治を語るすべての人に共通する最低限のマナーだ。


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