
マイノリティ崇拝という異常
近年、あらゆる場面で「マイノリティに配慮せよ」という言葉が繰り返されている。
だが、これは果たして健全なのだろうか?
今や配慮は単なる思いやりを超え、多数派に犠牲を強要する狂気のレベルに達している。
世界を支えるのはマジョリティだ
社会を動かしているのは大多数の人間=マジョリティだ。
インフラも経済も教育も、基本は多数派を前提に設計されている。
その多数派を軽んじ、少数派の声ばかりを優遇するのは、土台を壊して家を建て直すような自殺行為である。
マイノリティは余力の範囲で守られるべき
少数派の権利を守ること自体は否定しない。
だがそれは、あくまで多数派の安定を損なわない範囲で行われるべきだ。
多数派の利益を奪ってまで少数派に譲ることは、正義ではなく逆差別に他ならない。
地位逆転は社会の崩壊を招く
もし「マイノリティのためならマジョリティは我慢しろ」という風潮が続けば、
多数派の不満は爆発し、社会の分断は避けられない。
民主主義の根幹である多数決が否定されれば、国家は瓦解する。
それは「多様性」でも「優しさ」でもなく、破滅への道だ。
結論:過剰な少数派優遇は社会の毒
- 世界を支えるのは多数派である
- 少数派は尊重されるべきだが、余力の範囲で
- 多数派を犠牲にする逆転現象は、社会を確実に壊す
マイノリティを神格化する社会は、すでに病んでいる。
今こそ「多数派こそ優先されるべき」という当たり前の原理を取り戻さねばならない。


コメント